丸茂商店看板画像について

 2020年コロナ禍の真っただ中、丸茂商店公式サイト看板画像を、かつて12月の期間アルバイトで何年かお世話になった、現在人気歴史イラストレーターのさくらいようへい氏に制作してもらいました!

 上野、アメ横の時代の違う全部で5枚(2020年7月現在)で、不定期に変更して行きます。すぐに違う画像を見たい方は丸茂商店ヤフー店、楽天市場店をのぞいて下さい。

 

さくらいようへい

1980年生まれ
長野県出身

日本の歴史を中心に、戦国期の武将、各地域のお城に関するイラストや、
スケッチに文章を加えたルポルタージュ要素の強いイラストを描いています。
おもなお仕事
・「西荻観光手帖」内イラスト(西荻窪商店会連合会 2014年刊)
・「はじめての暗渠入門」装画(筑摩書房 2017年刊)
・「ニッポン武将名鑑」(毎日小学生新聞 2015年~2019年 連載)など

さくらいようへい氏のツイッターです。暗渠や歴史巡りの街歩きとかが面白い!

https://twitter.com/kokeshijirou

 

さくらい氏のブログ、お仕事の依頼はこちらへ

bloghttp://kokeshijirou.blog.fc2.com/

 

12月だけ看板全部大公開だったけどいい感じなんで常時公開!

 1800年頃江戸期の上野広小路付近 不忍池から川が流れていて上野公園入口辺りに三つの橋があったとのこと その名前の名残があんみつみはしとかです。当時流行りだした握り寿司の屋台も出ていたことでしょう。

 1867年の上野。西郷さんの銅像があるのは、実は上野戦争の総司令官だったからです。西郷どん滅茶苦茶強くて上野公園が焼野原になったそうです。関東うなぎが大好物で勝海舟との会談前や戦いの合間にも食べたかもしれません。彰義隊にマルモさんがいます。

 1945年闇市のアメ横。シケモク残飯シチューヒロポンパンパン刈込み、敗戦後何でもありの世界で皆必死で生きていたことでしょう。初代古川保も中国大連から引き揚げてきてこの地で闇市を始めたとのこと。どこからか持ち込まれた闇流通のスルメ等も売っていたことでしょう。

 1960年頃のアメ横。戦後日本の繁栄と比例してアメ横も賑やかさを増していき、年末の買い物はアメ横のイメージが形造られていきました。元満鉄商社部門だった初代も北海道から仕入れた新巻鮭で一山当てて自社ビルを購入したとのことです。

 2019年12月~2020年1月頃のアメ横。この企画をさくらい氏に持ち込んだ時には、コロナによりこのような状況になるとは思ってもいませんでした。しかし災害は、悲しいことは必ず終わります。コロナで帰省出来ませんでしたが、2020年現在、地震でやられた実家近くのトンネルと国道と鉄道が開通しました。橋ももうすぐです。またかつてのアメ横に戻る日まで必死に戦い抜こうと思います。

さくらいようへい氏の主な作品

TKD 4MENS」(武田四名臣)


「源頼朝公御一行 御休憩」


ニッポン武将名鑑(毎日小学生新聞) その70 「真田昌幸」

 

お仕事の依頼の時は「丸茂商店の看板イラストを見た」とおっしゃって下さい。